2013 年 51 巻 2 号 p. 93-103
本稿では、1909~1914年のクラーク大学児童研究所におけるG. S. ホールの役割と遅滞児への相談活動を明らかにすることを目的とし、(1) 児童研究所の組織と運営におけるG. S. ホール、(2) 地元教師への研修内容、(3) 遅滞児への相談活動の視点から検討を行った。本研究における史資料は、1910年前後における児童研究に関する報告書、往復書簡を含むクラーク大学図書館の貴重資料室に所蔵されるホール史料集および同大学の記録などが中心である。ホールの尽力によって設立された児童研究所は、1909~1910年度からマサチューセッツ州ウスターにおける地元の遅滞児や教師を対象に展開された。児童研究所の予算は限られていたが、同州内や国内から公立学校の通常学級および特別学級の子どもに関する身体・精神面の検査、保護者の相談が行われた。また異常児や遅滞児に関する研修は、心理学・教育学の専門家と小児科医師によって放課後や土曜日の午前中に行われ、地元の教員が参加していた。